「ソフティモ」ってほぼほぼ伊野尾くんじゃん。

伊野尾くんの顔が美しいというもう何千万回と繰り返されてきた話について

「美は細部に宿る」というあの有名な言葉を、伊野尾くんを好きになってから、私はいったい何度心の中で反芻しただろうか。


私と一度酒を飲んだ人であればもう聞き飽きたと苦笑を浮かべるだろうが、「伊野尾くんはどこまで微分しても美しい」というのが私の持論である。伊野尾くんはどんなに細部まで見ていってもいつだって美しい。見たことはないけれど、伊野尾くんの肌を顕微鏡で見ることができたら、きっと細胞まで息を呑むほど美しいのだろう。私はこれを真剣に言っている。疑うのであれば、スマートフォンを開き、伊野尾くんの画像をどれでも一枚だして、拡大してみればよい。どんなに拡大しても、画面に映る伊野尾くんのパーツは、それはそれは美しいから。ただ、時間がどんどん過ぎていくので注意してほしい。もういちど言う。伊野尾くんはどこまで微分しても美しい。言い換えれば、どこまで微分しても美しいものが積分された結果が伊野尾慧なのである。

 たとえば 

上唇と下唇。伊野尾くんの下唇はぽってりと厚みがある。その存在感のある下唇はもちろん非常に魅力的なのだけれど、上唇もまた負けないくらいの魅力を誇っている。伊野尾くんの上唇は、両端が「たるん」と余っていて下唇のうえにほんの少しだけ乗っかったかたちになっている。そのため伊野尾くんの唇をみていると、唇というものがもつ物質としての柔らかさや重量感が感じられる。「唇がもつ重量感」なんていうものは伊野尾くんを好きになるまで考えてもみなかった。それでいて、上唇の中心部は「ぷっくり」とそこに確かにある弾力を主張しながら、すこしだけ下に突き出ているのである。造形美の極み。

唇の中に収められた伊野尾くんの舌は、人よりも少し長い。少し長いので時々収まりきらずにはみでたりしていて非常にけしからんことになっている。人より少し長い舌を持て余している伊野尾くんはとても可愛い。そしてその長い舌ゆえに、伊野尾くんはただでさえコケティッシュなその声を舌ったらずな言葉に乗せて発声する。タ行とかラ行とかの発音が特に可愛い。「a」音が浅くて「ae」音になるところは小生意気な感じがする。

鼻。伊野尾くんはすらりとした鼻筋に対して、まんまるの鼻の頭を持っている。鼻の頭はほうずきの実のように綺麗ですべすべしていて完全な球体だ。鼻が高いからだろうか、正面から見たとき鼻の付け根に「ハ」の字の線があらわれるときがある。そして眉間には、笑うと横に皺ができる。その全てがたまらなく魅力的だ。

右目と左目。もう敢えて書くまでもなく周知のことだとは思うが、伊野尾くんの右目と左目は非対称だ。綺麗な弧形を描く向かって右側の目に対して左目の瞼は目じりがなだらかなラインを描いて垂れている。なので左側から見た伊野尾くんと右側から見た伊野尾くんは驚くほど印象が異なるときがある。下向きに綺麗に生えそろった睫毛も、二重の幅も、黒い瞳も、人間が「美」と本能的に感じる秘密が詰まっているわけだが、そこで右目と左目を完璧な左右対称にしないところが、伊野尾くんの顔面に人工ではありえない人智を超えた崇高ともいえる美を備えさせている。伊野尾くんを創造した神様は本当に天才的にセンスがあるなあと思わずにはいられない。

このように伊野尾くんを構成する断片を賛美する言葉を、これまで何度となくツイッター上に吐き出してきたが、140文字の断片による無数の賛美の言葉たちは、いつもばらばらと広がっていき、伊野尾くんの美しさの全体像に至らない。言っても言っても言い尽くすことのできない美しさ。さらに言えば、伊野尾くんの顔を見たときに私が抱くまず第一の感情はいつだって「衝撃」だ。伊野尾くんの姿を目にするといつもあまりの美しさに驚愕する。もう繰り返し見た同じ写真であったとしても、だ。ある種のショック状態に陥って思考停止してしまうのだ。そしてそのあとに襲ってくる心臓をわしづかみにされたような感覚。心拍数の増加、発汗。涙。「人間が美しい」というただそれだけで涙が零れるということを、私は伊野尾くんを見て初めて知った。なので、伊野尾くんの美しさについての理解や見識というものはまったく積み重ねることができない。何度となく見ても伊野尾くんの美しさに慣れることはない。いつだって初めて伊野尾くんを目にしたときのように、立ちつくし涙するのみだ。辛い。辛くて幸せ。